皆さんシチューは好きですか?
私はシチューはスープとあまり変わらないと思っていますので、必ずご飯とは分けておかずと一緒に食べています。
だから太るんだよ!というツッコまれそうですが、変えるつもりはありません。
今回は、そんな人も魅了し、美しさに見惚れる太るかもしれない魔性の食べ物であるシチューを取り上げていきたいと思います。
今日からあなたの中でシチューはスープとなります(嘘です)。
紀元前から続く謎の煮込み料理
日本にもちゃんこ鍋を始めとして、1つの鍋に様々な料理を入れて煮込む料理がありますが、世界的に見ても珍しいことではありません。
時は、紀元前500年頃のお話です。日本では弥生時代が始まった頃になります。
この頃の西欧地域で、木から金属製の鍋を吊るし、その中に様々な材料を入れ、長時間火にかけ煮込む料理が盛んに行われるようになりました。これがシチューの始まりと考えられています。
そうです。シチューとはクリームシチューなどを指すのではなく、様々な材料を様々なスープで長時間煮込んだ料理のことを指すのです。
それから1000年以上の月日を経た16世紀後半から17世紀前半に、フランスにおいてラグーという名称でシチュー料理が確立されることになりました。
日本にシチューが来たのはいつなの?
気になりますよね。私でも気になります。
正確なことは分かりませんが、分かっていることを書いていきます。
1871年(明治4年)
東京都の洋食店「南海亭」のチラシのお品書きに、「シチウ(牛・鶏うまに)」書かれていたそうです。
これが日本で初めて大々的シチューを出した店ではないのかなと言われています。
翌1872年(明治5年)
仮名垣魯文(かながきろぶん)の著である『西洋料理通』によれば、牛肉や豚肉、トマトなどを用いたシチューが紹介されていたそうです。
明治時代中期
レストランにビーフシチューが普及します。
1904年(明治37年)
旧帝国海軍軍艦の昼・夕食として、「煮込み」の名でシチューやカレーが出されていたそうです。
明治時代末期
上流階級向けの婦人雑誌にシチューのレシピが紹介されるようになりました。
第二次世界大戦終結後
全国に、本格的にシチューが浸透し始めました。
ビーフシチュー・カレーライス・肉じゃが全部兄弟説
ビーフシチュー
『海軍カレー』の原型というべきビーフシチューの誕生は、イギリス海軍が関係しています。
インドを統治していたイギリスが、シチューを作るために牛乳を持っていたのですが、牛乳が日持ちしないことに気付きました。そこで、考え出されたのがインド原産のカレーパウダ―に牛乳を入れるという発想です。
これがビーフシチューの誕生の瞬間です。
カレーライス
今では、日本の国民食までに登り詰めたカレーライスですが、本場インドのカレーとは多少違います。
本場インドのカレーは、汁気が多くサラサラとしてます。しかし、日本のカレーはドロっととろみあります。
これはひとえに小麦粉の活躍によるものですが、この小麦粉を炒めてルーを作るというのを始めたのが日本帝国海軍なのです。
つまり、日本のカレーの原点は海軍カレーにあるのです。
海軍カレー誕生秘話
当時、日本帝国海軍では、栄養バランスが偏った食事が原因で前代未聞の脚気疾患者で溢れ、海軍軍人の病死の最大の原因となっていました。
そこで、海軍は日英同盟の同盟国であったイギリス海軍の食事を参考に食事の改革を行うことにしたのです。それが、シチューとパンです。
しかし、サラサラとしたカレー味のシチューは日本人の口には合わなかったらしく大変不評でした。そこで試行錯誤に試行錯誤を重ねた結果「とろみを付ける」カレー味のシチューを作り出したところ、大変好評でした。
これが『海軍カレー』誕生となりました。
肉じゃが
女性が男性の胃袋を掴むために、一番最初に作るのが肉じゃがとハンバーグを言われていた時代もあったそうです。
しかし、肉じゃがの歴史ってそんなに長くないのです。
元帥海軍大将である東郷平八郎がイギリスのポーツマスに留学していたときのお話です。
現地で食べたビーフシチューが大変気に入り、帰国後に、海軍食にしようと、現地の料理人にレシピを教わりました。しかし、当時の日本にはデミグラスソースも無ければ、赤ワインも恐ろしいくらい高かったため、再現を明示られた料理長は手も足も出ませんでした。そこで、料理長が考えたのが、手に入る醤油や砂糖、酒などで肉じゃがを作りました。
既に海軍食として定着していた「海軍カレー」と材料も同じこともあり、新しく食材を調達する必要もなく負担もありません。また、カレーに飽きた軍人にも丁度いい料理となりました。
最後に
思ったより、シチューの奥は深かったです。
数時間で書き上げることができるだろうと思っていましたが、調査も含めて数日間かかりました。時間がかかった分だけ、内容も驚くことばかりになりました。
今後、シチューをみたときは、是非、この話を思い出してください。
『東海道中膝栗毛』をもじって、『西洋道中膝栗毛』を書いたことで有名です。