みなさん『イカ天(イカフライ)』をご存知ですか?
広島でお好み焼きを食べたことがある人はご存知だと思いますが、広島ではイカ天(イカフライ)を知らない人はいないというくらいポピュラーな食べ物です。
かく言う私もイカ天だけを食べるほどにイカ天が好きだったりします。
今回は、そんな皆に人気なイカ天の歴史にスポットライトを当てていきたいと思います。
イカ天とは?
スルメイカに衣とつけて揚げる加工食品です。
このイカ天を製造している会社が、日本全国で11社ありますが、そのうちの9社が広島です。9社中5社が尾道で、残りの4社が呉にあります。
このことから広島はイカ天天国といっても過言ではないくらいです。
広島県尾道市
- まるか食品株式会社 ー 広島県尾道市美ノ郷町本郷455-10
- 有限会社 砂田食品 ー 広島県尾道市高須町4837-3
- 株式会社 島谷食品 ー 広島県尾道市福地町1-51
- 株式会社小倉秋一商店 ー 広島県尾道市東尾道15-1
- もう一社が分かりませんでした。
広島県呉市
- 株式会社 銀の汐 ー 呉市広末広1-4-24
- 株式会社 すぐる食品 ー 呉市広末広1-3-31
- 株式会社 全珍 ー 呉市広末広1-3-28
- 株式会社 大塩するめ ー 呉市広白岳5-3-22
大阪府
- 株式会社マルエス ー 大阪府堺市中区けな町86-1
- もう一社が分かりませんでした。
では、なぜ、広島でこんなにイカ天が製造されるのでしょうか。
イカの漁獲量が多いからでしょうか。学生の頃になった情報では、イカの漁獲量は北海道や青森などの東北が王者として君臨していた気がします。
ということは、漁獲量ではありません。
では、なぜなのでしょうか。
この謎を解くには、約150年前の明治初期まで時を戻してみましょう。
始まりは荘園制度から
広島には『荘園米』を積み出す港が2箇所ありました。それが現在の広島港と尾道糸崎港です。この港があったことが後々に、運命の分かれ道となります。
この荘園と荘園米の説明を少ししておきましょう。
荘園
日本には、奈良時代末期から鎌倉時代まで『荘園』という制度がありました。『荘園』とは、一言でいうと「農園」のことです。
荘園という制度ができるまでは、土地と人は全て朝廷(国・天皇陛下)のものであり、農民には口分田を貸与するという法律がありました。これを班田収授法といいます。班田収授法では効率が悪いということで、三世一身の法ができたりしました。しかし、この法律も3代経過したら朝廷に返還しなければならないので、国民のやる気は消失するばかりでした。
その打開案として制定された法律が『墾田永年私財法』です。これは、自ら新しく耕して手に入れた土地は、永遠に全て自分のものになるという法律です。「永遠に自分のものになるなら!」と俄然張りきって頑張ったのが元々裕福であった神社や貴族の人たちです。新しい土地を探し、逃げ出した人や近くの貧乏人などを使い、荒地を耕し、どんどん農地や農村を作りました。この農地や農村のことを『荘園』と呼びます。
農民も自由に農園を持つことできるように歴史的な転換点です。
班田収授法(全部俺たちが持って、1代だけに貸与する俺たちが有利な方法では誰も動かないぞ)→
三世一身の法(致し方ないから3代までは所有できるようにしたけど、やっぱり俺たちに返すようじゃだめか・・・)→
墾田永年私財法(もう!いいよ!永遠に使っちゃいな!)
荘園米
荘園で得られ、朝廷に貢ぐお米のことです。
朝廷は土地を手放しても、それ以上のお米が手に入るので両者にWin-Winだったということです。
商船の到来
室町時代
さらに瀬戸内海の船の道を整備し、発展させます。
江戸時代
大阪と北海道を結んだ北前船の西廻り航路が開発されます。
もちろん北前船だけではなく、九州・四国など全国の商船が一同に集まり、尾道は大変繁栄していきます。
尾道に商船がやってきた理由
では、なぜ、尾道にたくさんの商船がやってきたのでしょうか。
それは北海道などの他の地方では取れない尾道で製造されていた『塩』を求めて、全国の商船がスルメや昆布・ニシンなどの最上級の品を運んできていたわけです。
『塩』のおかげで、最高の食材の集まる全国でも重要な港として発展し、全国の海産物が手に入っていたというわけです。
挑戦による、新たなる創造
明治時代に入り、少し実験をしました。
港で卸された、干したスルメイカの耳と足と取り、胴体のみにしたものを七輪で焼きました。熱々に焼き上がったスルメをローラで薄く伸ばし、食べやすい大きさにカットして揚げました。
これが現在の「尾道イカ天」の始まりです。
まとめ
- 平安時代に荘園制度ができたことにより、港ができ、
- 室町時代に航路が発展し、
- 江戸時代に北前船を始め、全国の商船が海産物を持ってきて、
- 明治時代にイカ天を作る
という流れです。
兎にも角にも、荘園制度ができなかったら、広島県尾道市にはイカ天が誕生しなかったことでしょう。
ということは、お好み焼きにもイカ天が入らず物足りない味になっていたかもしれません。
墾田永年私財法を始めてくれた聖武天皇に感謝感謝です。