2月14日はバレンタインの日です。
日本でバレンタインといえば、女の子はチョコを溶かして型で固めて、好きな人に手紙と一緒に渡して告白をするという男女ともに楽しみの日とされています。
男の子は100円のチョコを何枚か溶かして作られた手作りチョコに、2倍の値段のお返しをしなければならない義務が発生する日でもあります。私は2倍と教えられてきました(気持ちなのでいくらでも良いかと)。
自尊心の高い男の子は、チョコを何個もらったかを競う人もいるのではないでしょうか。知りませんが。
また、学校中がチョコの甘ったるい匂いで充満したり、先生がわざと定期試験を被せて楽しめないようにしたりあれよこれよと策を弄したりする日だったりもします。
今回は、こんなに幸せと愛に満ちたバレンタインの歴史を紐解いていきたいと思います。
バレンタインはいつ・どこで・なぜ始まったのか。真相に迫ってみましょう。
誕生秘話はローマ帝国とヴァレンティヌスにある
時は、ローマ帝国まで遡ります。
ローマ帝国といえば、「ローマ滅びるとき、世界が滅びる」といわれるくらい大帝国でした。
しかし、男と女は後進国的でした。
当時のローマ帝国では、若い男女は別々の場所で生活していたため出会いが全くありませんでした。出会い全くない男女は、2月15日から数日間に渡って行われていた豊年を祈願するルペルカリア祭で出会っていました。
ルペルカリア祭の前日の2月14日は女神・ユノを祝う祝日です。
このユノを祝う祝日で、女性は紙に自分の名前を書き桶に入れ、2月15日、男性が桶から女性が名前を書いた紙を引き、引いた男性は書いてあった名前の女性とパートナーとして祭りに参加します。そして、このパートナーとフォーリンラブして、結婚するのが常でした。
しかし、時の皇帝クラウディウス2世は、愛する妻がいる兵士が愛する妻を故郷に残したまま戦に出ても士気が下がるとうことに気付きます。そこで、ローマ帝国内での婚姻は禁止しました。これを不憫に感じたキリスト教司祭のヴァレンティヌスは秘密裏に兵士を結婚させました。
これを知ったクラウディウス2世は、ルペルカリア祭の生贄として捧げるため、前日の2月14日にヴァレンティヌスを絞首刑に処します。
死後、キリスト教の信教者から恋人たちの守護聖人として崇敬されました。そして、殉教の日の2月14日をバレンタインデーとしました。
最後に
今回は短いお話でしたが、バレンタインは悲しいお話から始まりました。諸説あるかもしれませんが、私はこの説が真実であって欲しいと思っています。
私がこの話を初めて知ったのは、中学生ときでした。当時は、かなりの衝撃覚えたことを鮮明に記憶しています。
常に、幸せな話しが元ではないんだなという事実を知った瞬間でした。
読者の皆さんも血と涙の上に、現在の愛と幸せがあるのだと思って欲しいと思います。
今年もどうか幸せなバレンタインを過ごして欲しいと思います。