さて、今回は血盟団事件をわかりやすく解説していきたいと思います。
歴史会議の検索キーワードでもトップレベルに多いワードです。
なぜ、井上準之助が殺される必要があったのか。
なぜ、團琢磨は殺される必要があったのか。
なぜ、そもそも血盟団事件は起きたのか。
こういった歴史の闇に見え隠れする過激な右翼(極右)によるテロ事件の原因と流れをわかりやすく解説していきます。
では、一緒にタイムトラベルの旅を楽しみましょう。
暗殺計画
血盟団事件とは、1932年(昭和7年)2月~3月にかけて政財界の要人が狙われた連続テロ(政治暗殺)事件です。
井上日召
血盟団を決起したのは、日蓮宗の僧侶である井上日召なる人物です。
彼は、茨城県大洗町の立正護国堂を拠点にして近隣の青年を集めて政治活動に邁進していました。
そんな中、彼の頭の中には壮大な構想が生まれます。
そうです。
血盟団事件を企てたのは、井上日召の脳内にできたテロリズムを基礎とした国家改造計画構想の実行をするためだったのです。
そうは言っても、どんな人でも政財界の要人を簡単に暗殺することなんて不可能でしょう。
もちろん血盟団もそれは同じでした。そのため綿密な計画を立てていきます。
具体的な計画
まず、人を暗殺するためには、暗殺対象を定めなければなりません。
井上日召は暗殺対象とする基準を定め、「ただ私利私欲のみに没頭し国防を軽視し国利民福を思わない極悪人」である政党政治家・財閥重鎮及び特権階級など20余名を選定しました。
そして、この暗殺計画を陸軍に提案したのですが、拒否され、軍からの協力は得ることができませんでした。
当たり前だと思いますが・・・
1932年(昭和7年)1月9日
軍からの協力を得ることができなかった井上日召は、仕方がなく自分の構想に賛同してくれる人達だけで謀議を開きます。
その結果、暗殺決行日を紀元節にあたる2月11日と決定しました。
しかし、井上日召は本当に持ってない男でした。
同年1月28日
第一次上海事変が勃発します。
帝国海軍から、海軍は中華民国の上海共同租界の最前線に参加するように指令がでました。
そして、実は、1月9日の謀議には海軍所属の古賀清志、中村義雄、大庭春雄、伊東亀城がいたのですが、彼らは招集され参加ができなくなりました。
そのため、再度対策を考える必要があります。
同年1月31日
緊急謀議を開きます。
海軍が招集されたことによって、戦闘のプロでは日本にはいません。
そこで、先鋒は民間人が担当することになりました。民間人には酷な一人一殺を目指します。
上海の最前線に参加している海軍は、上海出兵中の陸軍を強引に暗殺計画に引き込む任務が課せられました。もちろん、陸軍にもクーデターへ参加してもらうことになります。
そして、暗殺決行日は2月7日以降とすることが決定します。
民間人は一人一殺です。担当割をご紹介します。
暗殺対象 | 役職 | 暗殺担当者名 |
---|---|---|
池田成彬 | 三井合名会社筆頭常務理事 | 古内栄司(大洗町の小学校訓導) |
西園寺公望 | 元老 | 池袋正釟郎(東大文学部学生) |
幣原喜重郎 | 前外務大臣 | 久木田祐弘(東大文学部学生) |
若槻禮次郎 | 前内閣総理大臣 | 田中邦雄(東大法学部学生) |
徳川家達 | 貴族院議長 | 須田太郎(国学院大学神道科学生) |
牧野伸顕 | 内大臣 | 四元義隆(東大法学部学生) |
井上準之助 | 前大蔵大臣 | 小沼正(農業、大洗町) |
伊東巳代治 | 枢密院議長 | 菱沼五郎(農業、大洗町) |
団琢磨 | 三井合名会社理事長 | 黒沢大二(農業、大洗町) |
犬養毅 | 内閣総理大臣 | 森憲二(京大法学部生) |
暗殺実行
井上準之助暗殺事件
1人目の暗殺対象者に選ばれたのは、井上準之助です。
選挙の応援演説で本郷の駒本小学校に着いて、自動車から降りて数歩歩いたときです。
影に隠れていた暗殺担当の小沼正が近づいて懐中から短銃を取り出し、井上準之助へ3発の銃弾を撃ち込みました。
井上準之助は病院へ緊急搬送されるが、間もなくして死亡しました。
小沼正は、駒込署員に即座に逮捕されました。
なぜ、井上準之助は暗殺されたのでしょうか?
彼は、濱口雄幸内閣で大蔵大臣の任に就いていました。
その時に、金解禁とデフレ政策を断行したのですが、それが仇となり昭和恐慌が起き、日本経済は混乱の渦へと飲み込まれました。
さらに、軍縮政策の1つとして日本海軍への予算削減の圧力を掛けていました。
そのことがあり、暗殺の1人目に選ばれたわけです。
團琢磨暗殺事件
元々、團琢磨の暗殺担当者は黒沢大二でしたが、直前で目標変更の指令が有り、菱沼五郎が担当することになりました。
暗殺実行日は、1932年(昭和7年)3月5日でした。
暗殺担当の菱沼五郎は東京の日本橋にある三井銀行本店(三井本館)の玄関前で、團琢磨の出勤を待ち伏せしていました。
そして、團琢磨が出勤してきた時、隠し持っていたピストルで射殺します。
もちろん、菱沼五郎はその場で逮捕されました。
なぜ、團琢磨は暗殺されたのでしょうか?
憶測の域は出ないのですが、三井財閥がドル買い投機で利益を上げていたことで暗殺の対象になったとも言われています。
また、労働組合法の成立を先頭に立って反対した報復であるとも言われています。
その他の暗殺対象は?
では、團琢磨と井上準之助以外の暗殺対象者はどうなったのでしょうか。
まずは、暗殺の準備をするために、各対象者の調査に入りました。
四元義隆は三田台町の牧野伸顕内大臣、池袋正釟郎は静岡県興津の西園寺公望、久木田祐弘は幣原喜重郎、田中邦雄は床次竹二郎、須田太郎は徳川家達を調べました。
しかし、調査はするも全て目論見で終わり、暗殺の実行はされませんでした。
暗殺後の裁判
忠誠心の強かった小沼正と菱沼五郎は、警察の尋問に黙秘を続けました。
しかし、警察が黙秘されたからと諦めるわけがありません。
警察は、以下の点に絞って付近に聞き込みをします。
- 被疑者両人が茨城県那珂郡出身の同郷であること
- 同年齢(22歳)であること
- 犯行に使われた銃が同型(ブローニング6連発)なこと
そうすると、捜査線上に井上日召をボスにした暗殺集団が浮かび上がりました。
逮捕されるのも時間の問題だと判断した井上日召は、警察に出頭し、まもなく逮捕されます。
井上日召の逮捕を機に、芋づる式に関係者約15人も逮捕されるに至ります。
取り調べの時に、小沼正が拳銃を海軍の藤井斉中尉からもらったと自白するのですが、海軍からの逮捕者は0人でした。なぜでしょうね。
判決
井上日召・小沼正・菱沼五郎は無期懲役。
四元ら帝大七生社等も共同正犯として、それぞれ実刑判決。
五・一五事件
実は、五・一五事件、血盟団の残党によって血盟団事件から数カ月後に起きた事件なのです。
なので、血盟団が当初暗殺対象にしていた犬養毅が狙われたわけです。
五・一五事件も血盟団事件と同じように大規模なテロ事件として画策していましたが、色々な人の裏切りや反逆もあり大規模テロ事件とはなりませんでした。
五・一五事件はまたいずれお話したいと思います。
まとめ
血盟団事件とは、国家改革構想の元に計画された連続テロ事件です。
井上日召は、自分が『悪』と判断した特権階級の人を標的にした事件でした。
昭和までは、このように国家改革思想によったテロが多かった印象を受けます。
今後も、徐々にご紹介していきたいと思います。
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